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因島村上水軍城 広島県因島



 写真は、村上水軍にちなんで、毎年8月に行われている『村上水軍祭』の出陣式の様子である。一週間ほどの日程で行われ、最後の日は、早川船による競争などが行われる。
 背後に見える城らしきものが、村上水軍に関する資料を展示している資料館である。
 水軍に関する資料館としては、この他愛媛県宮窪町にある能島村上水軍資料館があるので、ぜひ二つの資料館は訪ねてみたいもの。
 
 村上水軍は、瀬戸内三島村上水軍の中でも、小早川氏など大名との接触が早く、いち早く大名権力配下で活躍していく水軍であるのに対して、能島村上水軍は、水軍または海賊の棟梁らしく最後まで大名権力に抵抗しながら没落していった水軍(海賊)である。
 三島村上水軍の三番目の水軍、来島水軍の資料館はないが、大三島町の大山祗神社が河野氏と関係が深いので、大山祗神社の国宝館も訪ねたい。
 村上水軍は、写真のように町を挙げての観光プロモーションをしている一方で、瀬戸内海賊の本家本元の能島水軍のある宮窪町にある資料館は、目立たず閑散としていて、歴史のかなたに忘れ去られているかのような気がした。(関係者には申し訳ないが)(補記−その後立派な資料館がオープンしましたのでここに補足して置きます。)
 歴史的価値としては、能島の方が圧倒的に優れていると思うのだが、地元の人々の取り組みによって、こうも歴史資産が知られるか、忘れ去られていくか、明暗が分かれるのかとつくづく感じた。


 補記
 この因島村上水軍資料館の建設までの裏話、能島水軍資料館と別個に水軍関係の資料が展示されるに至る経緯などを、能島村上氏直系の子孫村上公一氏が語っている。(『どっこい海賊は生きている』学校図書)
 当初因島に因島水軍の資料や代々家に伝わっている家宝だけでなく、能島村上氏のそれらも展示する約束ができていたが、愛媛県側の猛烈なアタックで、村上公一氏の家に代々伝わる数々の資料、家宝などは愛媛県宮窪町に展示されることになったと回想されている。最後には能島の郷土史家の七時間にも及ぶ熱心な説得に負けて、遂に宮窪町に能島水軍の遺物を託すことに決心したと語られている。現在愛媛県宮窪町の村上水軍資料館に展示されている資料は、村上公一氏によって寄贈されたものである。
 そもそも村上水軍という名前を世の中にアピールし一般化した功績は、ひとえに当時の金連寺住職岡田正寛和尚であることを強調しておられる。それまでは、村上水軍など誰も相手にもしなかったと言う。村上水軍が世の中に知られていくのは、岡田和尚の懸命な働きによるもので、今日の資料館、金連寺のあるのは、すべて岡田正寛和尚のおかげと言わなければならないと強調。
 当時の金連寺は、廃墟みたいなところだったと。終戦後間もなくのころである。

 
 
 




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