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八幡山城跡   広島県三次市



八幡山城は、備後の三次地方の国人領主三吉氏の支城である。三吉氏の本城は、現在の三次市街地郊外に所在する比叡尾山城、そして戦国末期には比熊山城である。
 山陰地方の覇者尼子経久の孫、尼子晴久は毛利元就を打つべく1540年、3万の大軍で郡山城へ攻めてくる。その遠征の偵察隊として尼子の戦闘軍団として知られていた尼子国久(晴久の叔父)率いる新宮党3000余の軍が三次方面から郡山城への攻撃路を進撃してくる。その際、尼子軍が駐屯した城が、この八幡山城である。八幡山城は、江の川まで数キロの距離のところにあり、その対岸には、毛利氏と同盟している宍戸氏(深瀬氏)の居城祝屋城がある。目と鼻の先である。
 尼子軍は宍戸軍に阻まれ、江の川を渡ることができなかった。尼子軍は、結局石見ルートを通って吉田郡山城へ攻めてくることになる。

【アクセス】
八幡山城は、現在の三次市志和地に所在する。国道54号線を広島市から三次方面に向かって進行すると、祝屋城を左手に通りすぎて数キロすると、三和町方面へ右折する三叉路があります。セブンイレブンがありますのですぐ分かります。その三叉路を右折して三和町方面に進行しますと、向かって左手に写真の八幡山城跡があります。
 城跡山麓には、地元の郷土史会による史跡案内板があり、そこから登山道がついています。特に専用駐車場はありません。


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