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石城跡        山口県



石城山は、朝鮮式山城と考えられていますがが、明確なことは不明のようです。 朝鮮式山城については、天智天皇の代に朝鮮半島の緊迫した情勢に対して防衛的施設として構築されたと考えられていますが、全国に分布する朝鮮式山城がすべてこの範疇に分類されているわけではありません。

 本州では、岡山県総社市の鬼の城などがつとに有名ですが、他に瀬戸内海周辺には香川県や愛媛県などにも数箇所確認されています。しかし、専門家の間でも、いまだ明確な結論はなされていない状況です。 地元では、山には鬼が住んでいるから、山には入らないように注意を喚起する昔話や、村に下りてきた鬼と娘が恋に落ちた話などが多く伝わっています。 こういう伝承からわかることは、村人と山に住んでいる人々の間の隔絶が暗示されているわけで、単なる天智天皇時代の防御施設だけとは考えにくい。構築されたのは古代であつたとしても、何らかの形であるまとまった人々の定住生活がその後も長い間営まれていたのではないかと私は考えています。

 ここを訪れて、奇妙な感じに囚われたことがあります。 ひとつは、異様な雰囲気がただよっているということ。今まで数多くの山城を訪ねてきましたが、あまり居心地のよい場所ではなかったということ。 この感情は、次の点と関係しているのかもしれないが、神篭石に囲まれた空間に、膨大な宿坊跡があるということ。昔ここには神護寺という寺があったとあるので、その関係の宿坊であろうが、一体全体この山頂で何を行っていたというのだろうか。勇に数百人はいたのではないかと想像しています。 周囲には水門が4ヶ所設けられていますし、山頂から谷に降りていくように縦に空堀跡と思われるものなども見受けられますが、相当量の水を使用していた可能性があると思っています。 朝鮮式山城の山頂部では、曲水の宴が行われていたと主張している識者(松本清張氏や金達寿氏など)もいるくらいで、私も何らかの定住生活の空間であったと考えています。

 この石城山の遺跡を考えるにあたっては、ひとつだけヒントになりそうなものがありそうです。 地図を広げてご覧になられたらお分かりのように、周防灘に突き出ている上関半島の付け根に『百済部』という地名が今でも残っており、さらにこの地に大規模な古墳があるということです。この古墳には女王と思しき人物が埋葬されており、先の敗戦のとき進駐軍がその頭蓋骨をアメリカに持って帰ろうとしたところ、地元の人々の立っての依願で日本に残されたそうです。 この古墳の場所から石城山はよく見えるわけです。私には、この二つの遺跡は何らかの関係を持っているのではないかと考えています。さらに江戸時代、岩国藩の台所として発展した柳井、田布施という地名も、いっしょに考えて見る価値はあろうかと思います。












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