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新田神社

新田神社はニニギノミコトを祭る古くから薩摩国一の宮として崇拝されてきた神社です。 昔は薩摩国一の宮としては、現在の指宿市に鎮座している牧聞(ひらきき)神社もそうでした。 どちらも、古事記の舞台とされている大山祇の地元です。 《天照大神は卑弥呼だった》の中で大平裕氏は、大山祇の本拠地は瀬戸内海の大三島であると述べられていますが、大山祇神社と呼ばれるものは、鹿児島県には数多く所在しており、鉱山の神として知らててきており、この鹿児島の薩摩半島が本拠地であると思います。大山祇神については、歴史再発見の《第38回 大山祇神社は隼人の神社》を読んでください。

ニニギノミコトを祭る神社として霧島神宮が有名ですが、霧島神宮の起源は、山岳信仰と考えられますので、ニニギノミコトの本拠地としての新田神社こそ、ニニギノミコトとの関係が最も深い神社と考えられます。ここに天照大御神も合祀されていますが、これもニニギノミコトと天照大御神が切り離せない関係にあることを物語っていると思います。

ニニギノミコトは、現在の鹿児島県加世田市あたりを本貫地としていた大山祇を首長とする《阿多隼人》の娘と結婚することで、薩摩半島北部一体を勢力下にしていたのではないでしょうか。

古代における薩摩半島南部から中部の意味合いは、鉄の生産ではなかったかと私は推測しています。その跡があちこちに見られるからです。ニニギノミコト勢力は、その製鉄勢力と結びついたということではないかと思います。古代種子島の砂鉄による製鉄の技術発展の延長線上にあるような気がします。

新田神社のあるこの山陵は、現在可愛(えの)山稜と呼ばれていて、ニニギノミコトの陵として宮内庁管轄下にあります。

また 北方向数キロのところには、ニニギノミコトが居住していたと伝承されている宮跡があります。








元々の神社の場所に鎮座している三座のうち、中心に大山祇を祭るのは、ニニギノミコトと大山祇との関係を示唆している思います。





境内に上がるとユニークな狛犬が迎えてくれます。




神社境内を奥に進むとニニギノミコトの墓と指定されている可愛山陵があります。宮内庁管轄下にあります。
 
 



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