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山県一族  広島県千代田町


広島県千代田町にある山県一族の墓所です。山県市の菩提寺福善寺跡にあります。今では寺跡の形跡は伺うことはできません。
 
山県氏は12世紀末、山県為網の代にこの地に入部してきます。これ以降、毛利元就によって壬生城を落とされるまで、この地の領主として続きます。この地は、北の吉川氏、南の安芸武田氏、東の毛利氏に挟まれ、草刈り場のような位置にあり、この三者の合戦が絶え間なく続きます。
 
この三者の領地争いに終止符を打ちことになる決定的な合戦が1517年の《有田中井田合戦》と呼ばれるものです。この合戦で、初陣の毛利元就は、安芸の郡守護であった武田元繁、与力していた熊谷元直など、武田氏の有力武将を討ち取ります。この合戦で、武田氏のこの地での勢力は完全に衰退し、吉川氏、毛利氏の勢力圏に変わります。そういう状況下で、この地域の小豪族山県氏が独自に生き残れるチャンスはなくなったと言えます。
 山県氏は、毛利氏の配下になってからは、毛利氏直属の水軍に組み込まれて、児玉氏配下で活躍していきます。

 幕末長州藩から登場してくるこの山県有朋は、この山県氏がルーツと考えられています。幕末長州藩の志士たちの縮図は、この戦国末期の安芸地方の縮図でもあると言えます。
 
関連情報
古城紀行―壬生城跡
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