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別府晋介生誕の地  鹿児島市




  1847年鹿児島実方生まれ。桐野利秋は従兄弟に当たります。彼の家もすぐ近くにあります。戊辰戦争で西郷に従い東北に分隊長として転戦。明治二年には鹿児島常備隊の小隊長となります。明治4年には東京に上がり、近衛陸軍大尉、翌5年には少佐に昇進。西郷が明治政府首脳部と衝突して鹿児島に帰郷すると、彼もまた桐野ら西郷を慕う人々と伴に、要職を捨て、西郷を追うように鹿児島に帰郷し、私学校創設に関わっていきます。別府晋介は加治木他四郷の区長として、大山綱良県令の県政に協力。時の鹿児島は、廃藩置県が行われたとは言っても、実態は大山綱良県令の下に西郷の私学校の勢力下にあり、明治政府の言うことなどほとんど意に介さずという事態でした。大山綱良は大久保とは意見が合わず、西郷に賛同していたようで、結果としては西南戦争に協力した形となります。
 西南戦争が始まると、別府晋介は加治木、国分の二大隊連合隊長として、西郷軍の先発隊として熊本へ北上、熊本城総攻撃を開始します。西郷軍が熊本で政府軍に敗退し、政府軍に包囲された延岡の可愛岳を突破し、鹿児島城山に帰郷、9月24日の最後の決戦の日を迎えます。政府軍の流れ弾に被弾した西郷の懇願に応じて西郷を介錯。その後別府も自害。ときに31歳。墓は南州墓地の西郷の墓に寄り添うように立てられています。

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