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尾関山城跡   広島県三次市



尾関山城は、関ヶ原の戦いで東軍について、安芸・備後両国49万8千石の大名に封ぜられた、福島正則の家臣尾関正勝が在番していた城跡である。 福島正則は、安芸・備後に入部すると、国境にそれぞれ亀居城、三原城、尾関山城、五品嶽城、鞆城、神辺城と一族重臣を配置して防衛態勢を固めた。  三次には、尾関石見守正勝(1571−1618)を配した。


尾関正勝は、尾張尾関の生まれで、父吉次とともに福島正則の家臣として、豊臣秀吉の天下統一への諸合戦に参加してきた歴戦の勇士であった。
 父吉次は、福島正則の嫡男正之の後見役として三原城在番となり、正勝の方は、2万2千石で三次に配置される。 
福島正則は、1619年広島城の無断修復工事の件で信濃川中島へ蟄居となり、同時にこの城も役目を終えることになる。
 正勝はその前年にこの地で死亡しており、その遺骸は、中世、この地の国人領主だった三吉氏の菩提寺に葬られている。



尾関山には、その後、5万石で本家浅野藩から分立した三次浅野藩の浅野長治が入部する。
 浅野長治はすこぶる学問好きで、尾関山の頂上に天体観測所を建設したという。
 尾関山は、尾関正勝に由来し、現在尾関山公園として、四季折々に自然の変化を楽しめる公園として親しまれている。
 




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