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海蔵寺   広島市西区


寺の縁起によれば、14世紀末に中国の僧、慈眼がこの地に移り住み爾来修行の地として開山したという。
 安芸門徒の多いこの地方では珍しく、現在でも曹洞宗の寺である。
 戦国時代、厳島合戦の際には、毛利方の陣営として用いられるなど、毛利氏との関係を深める。
 毛利元就の側衆の児玉氏が草津城の城主として在城すると、児玉就方の菩提寺となる。
 その後、児玉氏が長州へ移り、安芸国に浅野氏が入封すると、浅野家家老の浅野氏の菩提寺となり、明治維新を迎える。
 写真は、歴代浅野氏の五輪塔が立ち並ぶ海蔵寺の墓地である。
 この墓地には、浅野氏の他にも、小早川氏の墓、尼子の遺臣山中鹿介の娘の墓、豊臣秀吉に落とされた北条氏政の子北条氏直の墓など、歴史の因縁をまざまざと見る思いがする。
 児玉就方の墓は、現在、この海蔵寺の境内墓地にはなく、草津城跡の一角にあるが、ここは小泉氏の私領墓地内となっている。
 なぜ、児玉就方の墓が、小泉氏の私的墓地内にあるかと言うことだが、 住職の話では、昔は、海蔵寺の敷地であったようだが、浅野氏の入封以来毛利氏との関係から、児玉氏と小泉氏とを浅野氏菩提寺となった海蔵寺の敷地から切り離したようである。
 ところで、小泉氏と児玉氏との関係だが、小泉氏とは、小早川氏の分流である一族で、水軍の関係からか、児玉氏の配下となっていたようで、児玉氏の長州移転にも従わず、この地に定着したということらしい。
 浅野氏が安芸に入封してきたので、毛利氏の臣下であった小泉氏が児玉氏の墓守をする結果となったということであろう。
 現在、小泉家は酒造家として旧西国街道筋にひときわ大きな屋敷を構えていて、歴史の面影を残す唯一の史跡となりつつある。

 
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