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功山寺   山口県下関市


功山寺は、元々は長福寺と言われ、1327年創建の寺である。
長福寺が歴史の表舞台に登場するのは、大内義隆亡き後、陶晴隆によって擁立された大内義長が毛利元就によって追い詰められ、最後はこの寺で自刃した時であった。名門守護家の最後の時でもあった。
大内義長は、豊後の大友宗麟の弟でもあったが、山口の大内家の血筋を引いていることから、陶晴賢によって傀儡として大内家の当主として据えられた。 はじめは、元就によって命は助けられると約束されて勝山城(下関市)からこの寺に入ったが、その願いもむなしく自害を要請されることになる。境内には大内義長の墓がある。
その後、長州藩の支藩である長府藩主歴代の菩提寺として手厚い保護を受けてきた。
功山寺の名前の由来は、初代長府藩主であった毛利秀元の戒名に始まる。
写真の山門は、長府藩10代藩主の命によって建立されたものである。



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