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龍福寺   山口市


龍福寺は、防長制圧を成し遂げた毛利元就が、かつての主君大内義隆の菩提を弔うために、1557年に大内氏の館跡に建立した寺である。
 したがって、この地は、龍福寺という寺の境内という意味合いよりも、中世西日本を代表する守護大名大内氏の栄華の跡といったほうが、的確な場所である。
  大内氏は、応仁の乱で、幕府管領の細川氏と天下を二分して相争った守護大名で、応仁の乱によって荒れ果てた京の都を避けてこの山口の地に避難してきた公家は多かったという。
 大内氏も、この地を京の都に似せて町づくりを行い、戦国末期には名実ともに京の都を凌ぐ繁栄を誇っていた。
 日本に布教活動に上陸したフランシスコ・ザビエルも、日本での布教活動の許可を得ようと一時京の都に上がったものの、戦乱で荒れ果てた都の様子に失望したのか、再びこの山口に戻り、結局大内義隆に、国王に贈るべきものを献上し、山口の地で布教活動を始めたのも、当時この山口が、日本でもっとも華やかで、活力に溢れた町だったからであろう。大内義隆も経済的にも文化的にも日本一の気風があつたのか、ザビエルらの布教活動を快く受けいれた。
 全国に数多くの『小京都』と呼ばれる都市や町が残っているが、山口こそ名実ともにかつての京の都だったと言える。
 その大内氏の繁栄を支えた経済的な力で最も大きかったものが、明貿易による莫大な利益であって、管領細川氏との争いの原因も、すべてこの海外貿易をめぐるものである。
 今では想像することも難しいが、今から400年前頃の日本においては、ここ山口は、情報最先端の文化都市だったと言うことである。そういう歴史的重みが、この大内氏館跡はじめ、山口の街に潜んでいる。






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