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凌雲寺跡   山口市



凌雲寺は、1507年ごろ大内義興によって建立された寺である。現在は、その面影は写真の惣門跡と思われる巨大な石垣に見られるだけとなっているが、この地にたたずむとその壮大さが偲ばれる。栄華を極めていた義興時代の大内文化の一端を偲ばせている。

大内義興は、大内家第三十代の当主であり、衰退した室町将軍足利義胤(よしたね)を担いで京都に攻め上るなど、文武両道に優れた武将であった。長い間の京都在中によって、出雲の尼子経久の侵略、安芸、備後の国人領主たちの国内反乱の動きが起こり、室町将軍後見を切り上げ、故郷に帰り、その後は安芸国の平定に力を注ぐ。しかし嫡男義隆の代になり、名門守護家大内家は臣下の陶晴賢によって倒され、それを毛利元就が倒す。大内家の富と広大な領土は毛利元就によって引き継がれていくことになる。
義興も当時まだ若き毛利元就の資質にほれ込み、その力量を高く評価していたと言う。因みに元就の兄毛利興元は、この義興から一字もらい、元服し興元と名乗っている。
寺院跡敷地には、大内義興夫妻の墓がある。



 
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