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高松城跡   広島市安佐北区


高松城は、安芸国三入荘の新補地頭、熊谷氏の後期山城跡である。
 熊谷氏は、もともと桓武天皇系統の平家であるが、承久の乱による幕府への功績により、安芸の三入荘の地頭職を与えられる。熊谷氏も他の安芸の国人領主と同じくもともとは関東を地盤として勢力をもっていた一族である。現在の埼玉県熊谷市にその名残が残っている。
 安芸の国に基盤を移した熊谷氏は、はじめは伊勢ヶ坪城と呼ばれる、高松城より数キロ北にある城に本拠を定めていたが、勢力拡張にともなってこの高松城に移ったと思われる。 時期は1500年頃と言われている。
 熊谷氏は、熊谷元直が武田元繁の軍に加わって有田合戦で討死したが、その嫡子信直の代には、毛利元就に与力するようになり、元就の次男元春に娘を嫁がせ、毛利一門として活躍していく。
 城跡には、井戸跡や馬場跡、わずかな石垣、本丸の土塁跡などが確認できる。高松山は標高400メートル足らずとそれほど高い山ではないが、急峻な山で、人馬を容易には寄せ付けない典型的な山城である。








交通
国道54号線を広島市から吉田町郡山城方面に北上していけば、安佐北区可部の町を通過します。可部は江戸時代宿場町として発展してきた町で今でも旧道にはその面影が残っています。その可部の町から北東を見上げれば、ひときわ目立つ山があります。それが高松山です。
城跡への登山口は、可部高校グランドの脇にありますので、可部高校を目印に進行します。グランドの前を根谷川が流れています。駐車スペースは、グランド脇に広い空き地があり、その前に高松城由来の大きな案内板が立てられています。


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