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志布志城跡  鹿児島県志布志市



志布志城は、畠山氏、新納氏、肝付氏、島津氏と多くの領主たちに争奪されます。
この中でも比較的長期間にわたって在城した領主として島津氏一族の新納氏がいます。
新納氏は、島津氏第四代忠宗の第4子時久に始まります。
はじめ 時久は1335年日向の新納院地頭に任命されたことから、新納氏を名乗るようになります。
しかし新納時久は日向守護の畠山直顕に奪われ、以後大隈志布志に移ります。
志布志城は、その後新納氏代八代の忠勝にいたるまで続きます。
忠勝の時代は、、島津氏宗家相続をめぐっての最後の島津氏内訌の時であり、島津忠良と島津実久との間に激しい戦いが展開されていました。忠勝いる志布志城は、島津実久側につく島津忠朝、それに呼応した肝付氏、北郷氏などに城を囲まれるに至り、ついに1538年に城を落とされます。
忠勝は城を明け渡し串間に隠棲し、ここに新納氏による志布志城の歴史は終わりを告げます。
このとき、島津義久、義弘による島津氏全盛時代、活躍する新納忠元は、若干13歳でこの城を去り、伯父新納忠澄を頼り、父と伴に島津忠良の下に身を寄せます。
城跡には、新納氏初代時久の墓が残されています。
 史跡は2005年に国指定の史跡に指定されました。シラス台地の山を大きく掘り切りしており、幾重にも郭が構成されています。








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