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通称 隼人塚


  朝廷に従わず、一族挙げての反乱を時の朝廷に挑み、歴史の中から消え去っていった一族として、《隼人》の名は逆説的に記憶の中に刻まれることになります。その《隼人》のシンボリックな史跡として必ず取り上げられるものが、写真の通称《隼人塚》です。現在の鹿児島県霧島市隼人町に所在しています。
 この通称《隼人塚》については、先に掲載した《伝承隼人塚》の記事で説明していますが、この通称《隼人塚》は、正国寺跡の史跡ではないかとされています。
 したがって、隼人一族に直接関わる《隼人塚》は、先に掲載した《伝承隼人塚》のほうが濃厚ということになります。
 史跡を調査していて、おもしろいことは、一端世間の常識になってしまうと、それを修正することがいかに困難であるかということです。しかし同時にそこに歴史の面白さもあるわけですが。
 ところで、《隼人》族のルーツは、1.インドネシア系の民族 2.中国江南地方の民族 あたりが濃厚と考えられています。《隼人》の名前の由来もさまざまで、その敏捷さが隼を髣髴させる、南からの風に因んでいるなど各種あり、現在確定的な説はなし。


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