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桐野利秋が佐賀の乱徒を匿った洞窟跡


鹿児島市吉田町の県道沿いにこの史跡はあります。明治6年におきた《佐賀の乱》に敗れた江藤新平は薩摩の西郷隆盛を頼って、支援を仰いだものの、時期尚早と拒絶されます。その足で桐野利秋に話を持っていきますが、西郷を師と仰ぐ桐野がたつはずもなく、江藤新平は失意のうちに薩摩を去り、四国へ渡ります。土佐に渡り共に明治政府に対して兵を挙げようと画策しますが、彼はその地で捕らわれ、佐賀に送られ斬首されます。
  薩摩を去るとき随行していた石井と徳久という二名のものを桐野利秋に預けます。この洞窟は《征韓論》に敗れて西郷と共に帰郷していた桐野利秋が隠棲していた開墾地の一角にあり、この二名のものを武士の情けで匿っていたとされる洞窟です。官吏の追及は厳しく、この地にも官吏の追及が及び、ある日桐野利秋の自宅に《佐賀の乱》を賊徒を匿っているのではないかと追求されると、知らぬ存ぜぬで、大声で官吏を威嚇したためさすがの官吏も桐野の態度に辟易して退散したと言います。
 後に師の西郷隆盛に《佐賀の乱》の脱徒を匿っていることを追求されると、『これは自分の病気みたいなものだから、これを最後にどうか見逃してくれと』と嘆願し、西郷も大目に見たと言います。
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