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高林坊    広島県安芸高田市




高林坊の梵鐘には、いわれがある。この梵鐘はもともとは1391年豊後の吉祥寺に寄進されていたものを、厳島の大願寺住職円海上人が、毛利元就によって厳島神社殿外にて殺された、南天山城主であった和智誠春の菩提を弔うために、布施や和智誠春の遺刀を売却したお金で購入した。そしてこの梵鐘を現在の大竹市にあった栖雲院が梵鐘を失って欲しがっていたところへ寄進した。1579年のこととある。その後栖雲院が衰退して、毛利氏一門であった宍戸氏の手に入り、陣鐘として使用されていたものを、この寺に宍戸氏が寄進した。これがこの梵鐘についてのいきさつである。
 現在、この梵鐘は度重なる火災にも焼失せず、当時のままの姿を伝え、広島県の重要文化財に指定されている。 
 早くから毛利氏に従っていた南天山城主の和智誠春兄弟が、1569年に厳島神社社頭にて毛利元就の命によって殺された事件は、1567年に元就の命によって殺された赤川元保(隆元の五奉行人筆頭)の事件と同じく、1563年に急死した元就の嫡男隆元の事件に対する元就の始末であったというように一般的に書かれているが、その内実はそう単純なものではないであろう。




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