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浄久寺   広島県庄原市(旧東城町)


浄久寺は、久代宮氏の菩提寺であった。宮氏の素性、ルーツは判然としないが、一説では近畿の大和地方から備後地方に土着してきた一族と言われている。はじめは、現在の広島県福山市方面一帯に勢力をもち、次第に現在の東城町、西城そして庄原の一部へと一族が勢力を拡大していったと推測されている。戦国時代初期の頃、宮氏の勢力は現在の広島県西部一帯(備南、備北、備中)に及んでいた。
 その中で、久代宮氏は、現在の東城町久代に基盤を置いた宮氏の一族で、久代宮氏と呼ばれる。はじめは、東城町に五品嶽(こほんだけ)城を築いていたが、久代宮氏七代の宮高盛のとき、現在の西城町に大富山城を築き移った。東城町、西城町の町名の由来は、久代宮氏の東の城、西の城ということから由来している。
 宮氏も他の安芸の国人領主と同様に次第に毛利元就の勢力下に加えられていった。
 浄久寺は、東城町の五品嶽城から七代宮高盛のとき大富山城に移り、この地を基盤にしたとき、久代宮氏の菩提寺として建立した寺である。写真左手に見える大きなカヤの大木は、その宮高盛が植えたものと伝えられている。
 この寺の境内に足を踏み入れた瞬間、あたかも中世の日本にタイムスリップしたような印象を受ける。





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