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南天山城跡   広島県三次市吉舎



南天山城は、備後北部に勢力をもっていた和智氏の居城跡である。和智氏は、14世紀半ばに備後北部に下向してきた関東御家人広沢氏庶家から分かれた一族で、同じくこの地方に勢力を築いた江田氏とは同じ広沢氏から分かれた同族である。

  和智氏は、始めの頃は現在の庄原市に地盤をもっていたようであるが、次第に南下したようである。庄原市に和智という地名があることから、それが名残であろうと考えられる。
  和智氏九代の和智誠春(まさはる)は、1568年四国遠征から元就に呼び戻され、安芸の宮島に幽閉され、弟と共に殺されている。

  この事件の原因について、昔から言われていることがある。1563年出雲遠征の救援に駆けつけた元就の嫡男隆元が、途中和智誠春の南天山城に饗宴に招かれ、その帰路激しい腹痛を起こし、翌日宿舎の高宮の佐々部で急逝した事件があったが、元就は隆元の死因を毒殺ではないかと邪推したようで、これが1568年の事件につながっているというものである。あくまで有力な説であるという域を出ない。
  元就に殺された和智誠春の墓は、現在吉舎町に所在している




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