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肝付良兼  鹿児島県肝付町

写真は 肝付町の歴代肝付氏の墓所にある第17代肝付良兼の墓です。
 良兼は、父肝付兼続志布志に隠居したあと、本拠高山城を守り、迫り来る島津氏の攻撃の前に、肝付氏最後の時を迎えつつあった当主です。
 島津氏の軍勢が高山城を囲んだのは1566年11月。良兼はよく戦ったものの、ついに城は落ち、良兼父子は、良兼とその子伊勢童丸は兼続の居る志布志を目指して落ち延びていきますが、高山城からほどなく行った所で島津の軍勢に囲まれ、殺されてしまいます。その時、兼続の後妻である《阿南》はどこで何をしていたのでしょうか。《阿南》は島津忠良の娘で肝付兼続に嫁いできたものの、兼続の後を追うこともなく、一人高山の地に残り、良兼の後を継いだ弟の兼亮をも降ろし、島津氏よりの兼道を当主に据えていくなど、肝付氏滅亡へ何らかの関与をしていたと思われます。その《阿南》御前の隣に肝付良兼の墓があるのは、この間の事情を知る者にとっては、ブラックユーモア以外の何ものでもないような気がしてきます。


関連情報
薩摩紀行―肝付氏の家系
古城紀行―高山城 
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