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七尾城跡   島根県益田市




 七尾城は、石見の益田氏の本拠跡である。
益田氏は、藤原鎌足を先祖とする藤原一族で、国司として石見地方に派遣されていた。次第にそのまま土着し、石見地方屈指の領主として成長していくことになる。
源平合戦のさいには、平家の基盤が強い西日本で、数少ない源氏方として貢献し、その戦功にたいして石見一帯の領地を与えられ、 石見国押領使に任じられる。
  1192年に益田兼高が石見の益田に本拠を移して、七尾城を築き、益田氏を名乗るようになったと言われている。


  大内氏の重臣陶氏との婚姻関係もあったが、毛利元就が台頭してくると、毛利氏に属し、その後一貫して毛利氏家老としてとして幕末まで貢献していく。
  幕末の禁門の変で責任を問われ切腹を命じられた毛利氏三家老の一人益田氏の事件は有名である。
  益田氏第15代益田兼尭のとき、山口から雪舟を招聘し、益田の地に日本に誇る文化を築く。現在も雪舟庭園が市内の寺院に残されており、当時の文化を味わうことができる。

 七尾城は、出雲・石見地方では尼子氏の月山富田城を凌ぐほどの大規模な城で、益田氏の勢力を如実に物語っているようである。また中世の城には珍しく内堀の跡が残されている。かつての大手道にそびえていた大手門は、現在医光寺に移されており、当時の姿を見ることができる。












 
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