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西姫の墓 その2   鹿児島県日置市

 写真は島津日新斎(島津忠良)の三女西姫の墓です。鹿児島県日置市(旧吹上町)の多宝寺跡にあります。
 にし姫の墓は、先に加治木町の長年寺跡にあることを紹介しましたが、にし姫は加治木肝付氏に嫁いだあと、島津氏と肝付氏との離反で、肝付兼盛から離別させられ、父島津忠良の居城亀丸城の西の丸に住まわせられたことから、にし姫と呼ばれるようになります。
 加治木の長年寺跡の墓は、離別させられた肝付兼盛とにし姫との間に誕生した肝付兼寛が、母の死を痛み、加治木の地に建立したものです。
 にし姫は、離婚後、生まれ故郷の地伊作島津氏の本拠亀丸城に住み、山麓にある菩提寺多宝寺に葬られます。この墓は実家の菩提寺に建立されたものです。
 ふたつの墓を見るに付け、母を思う戦国武将の人間的な心が身にしみてきます。索漠とした戦国の世に、母と子の強い絆を見る思いがします。一人の母として、にし姫は息子の行く末をの亀丸城から日々思っていたのではないでしょうか。

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