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石体神社とは何か?

 鹿児島神宮の敷地の一角で山麓の奥まったところに石体神社という神社があります。地元では安産の神として信仰されています。これは、鹿児島神宮の祭神である《ヒコホデノミコト》いわゆる《山幸彦》の妻豊玉姫が《ウカヤフキアエズノミトコ》を出産するに当たって、鵜の羽で産所を覆わないうちに出産してしまうくらい安産だったことに因んでいます。
 伝承では、この地にあった《ヒコホデノミコト》の宮跡があり、その跡地に石体神社があったのを、708年現在の鹿児島神宮の位置に移動させたとあります。
 私は、この石体神社こそ、豊前から秦氏系統辛島氏を中心とする朝鮮系渡来人たちが持ち込んできた信仰より前に、すでに存在していた隼人族の何らかの信仰空間だったところと推測しています。つまり、もともとこの地に神社があり、その神社を秦氏の大隅移住をきっかけとして現在の鹿児島神宮に移動させたということです。  この石体神社が隼人族の信仰対象であると思われる根拠は、
1.石体神社のご神体は、《石》であること、これは石そのものが、割れて多くの部分に分かれるところからくる《多産》《豊穣》のイメージを古代人が持っていたことはもちろんですが、鉱物資源にかかわっていた隼人族にとっては、特別の意味があったであろうこと。

2.この神社の由来に残されているように、この地と《ウカヤフキアエズノミトコ》の誕生地と結び付けられていること。《ウカヤフキアエズノミトコ》の名前そのものの中に、隼人族であることをエンコーディングしてあること。つまり、《鹿児島神宮は八幡神社のルーツだった》で示唆しているように、鵜飼と隼人族の関係からして、鵜の羽の中から誕生しているイメージを持たせていること、これは、《ウカヤフキアエズノミトコ》が、海人族である隼人族の中から、神武王朝の正統性が誕生していることを示唆させているわけです。つまり、この地で、山幸彦系統が、海幸彦系統を支配し、日本の支配の正統性を受けついで行くストーリーが始まるわけです。

 


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